奈良は日本酒の古里


奈良は“日本酒発祥の地”と言われている。『古事記』や『日本書記』などに、神代の時代に奈良の地でお酒が造られ飲まれていたとの記述がある。米など穀類から造られたと思われるが、どんな酒なのかはわからない。

日本の最古の神社とされる大神神社(大三輪神社)は、酒の神様大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と少名彦名神(すくなひこのかみ)が祀られ、酒造りに神社として、全国の酒造家からあつい信仰を集めている。毎年11月に営まれる“新酒の醸造安全祈願大祭”には、杉の葉を毬藻の形をした大きな“しるしの杉玉”(酒林(さかばやし))が神前に飾られる。

酒造家は小型の杉玉を持ち帰り、新酒ができた印として軒下につるす。また、万葉集などに三輪に懸かる枕詞“うまさけ(味酒)”が散見され、これらから、奈良は古代から酒造りの中心であったことが伺われる。
飛鳥・奈良時代になると、渡来人が持ち込んだ大陸の醸造技術を基にして日本独自の技術が開発され、宮中の“造酒司”(みきのつかさ)という役所で官営の酒造りがされたという記録がある。10年ほど前に、平城京跡で“造酒司の井戸跡”が発掘され、当時の酒造りが実証された。

万葉集の「貧窮問答歌」(山上億良)に“・・・堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うち啜ろひて・・・”と当時の酒の様子をうかがわせる歌がある。この頃の酒は、濁酒(どぶろく風)が主で、これを絹などの布で漉した清酒(すみさけ)(今日の酒のように透明でなく白濁していた)もあり、億良ら下層階級は、漉して残った酒糟(粕)をお湯でといて飲んでいたのであろう。奈良時代、酒は上層階級の飲み物で一般庶民には縁がなかったと思われる。また、出土した木簡に、濁酒の下に溜まったものに塩漬け野菜を漬け込んだとの記録があり、奈良漬の原型を伺わせる。

都が京都に遷った後、奈良では酒造りは朝廷から寺院へと引きつがれ、僧坊酒と呼ばれる酒が造られていた。奈良の僧坊酒は江戸時代初期頃まで日本酒の中核的地位を占めていた。この間、米と麹と“野生の酵母”による酒造技術は発展し続け、室町時代、当時酒造りの筆頭格正暦寺で菩提元(ぼだいもと)と呼ばれる酒母(酵母を大量に含むアルコール発酵の元)を作る新技術が開発され名酒“菩提泉”を生みだした。この技術は、乳酸発酵を併用して雑菌を抑えて純粋な酵母を大量に増殖させるもので、現在の日本酒造りの基本となっている画期的な技術である。
奈良僧坊酒の全盛期は戦国時代で、最高級の酒、南都諸白(もろはく)と呼ばれて江戸時代初期まで奈良酒は高い評価を受けていた。しかし、江戸で酒の需要が高まるにつれて、産地が内陸の奈良から海上輸送に便利な灘、西宮へ移り奈良酒は衰退していった。 
今日、奈良県には30余りの蔵元がある。平成10年、600年振りに正暦寺で県内酒造組合若手が県工業センターの協力を得て “菩提元”を復活させた。菩提元で醸造した酒は、古の芳醇な香りがする奈良の新しい“うま酒”として好評である。

NPO法人奈良の食文化研究会  的場輝佳
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