平城遷都と奈良食文化の源流 (その3)天然醸造醤油


とれたての魚を刺身にして生醤油で食べるのが日本人の粋。
これほど簡単でシンプルな食べ方を見つけたのは日本人だ。この場合サシミと醤油、どちらが偉いか。醤油は調味料だから、どちらかといえば脇役。
だが醤油の滋味は人間が長い間、精魂こめて作り上げてきたもの。醤油がなければサシミのおいしさが伝わってこない。また、日本人の主食は米であるが、考え方によっては醤油が主食ではないかとも思えてくる。

日本人は醤油の味を楽しむために、あるときは刺身、あるときは天ぷら、あるときは焼き鳥、あるときは納豆、あるときは冷や奴、あるときは卵かけご飯。これらは醤油を楽しむために連れ合いを代えているだけのことではないか、ここに醤油主食論が成立する。日本人にとって醤油のない人生なんて考えられない。今や醤油は世界に誇れる調味料になった。
フランス料理でも隠し味として使われている醤油は、やはり味の神様である。あの一滴一滴の中に神様のエキスがひそんでいる。この恐るべき調味料は、いったい、いつ、どこで生まれて日本に伝わってきたのだろうか。

醤油の母は「醤」(ひしお)。古い文献「和漢三才図絵」(わかんさんさいずえ)には醤油は醤の汁であると書かれている。では醤とはなんだろうか。原料を発酵させて旨味をつくる醤は、草醤(くさびしお)、肉醤(にくびしお)、穀醤(こくびしお)があり、草醤は野菜・果物を、肉醤は魚や鳥や獣を、穀醤は豆、麦、米等穀物を原料としたものだ。

日本の醤油のルーツは「穀醤」であり、日本ではじめて「醤油」という文字が登場するのは安土桃山時代、慶長2年(1597)の「易林本 節用集」(えきりんぽん せつようしゅう)。日本で醤油が生まれたのは諸説あり、鎌倉時代説は禅僧の覚心が宋に渡り、禅を学ぶ傍ら径山寺(きんざんじ)の嘗め味噌を持ち帰り、紀伊国由良の興国寺で径山寺味噌を広めた。その味噌の溜まりがおいしかったので珍重し、その溜りが室町時代へと引き継がれ醤油と呼ばれるようになった。
また奈良時代説は「正倉院文書」「延喜式」の文献記述から「供御醤」(くごびしお)を造るのに穀類を三石三斗使用したとあり、それに相当の水や酒を加えて得られた「供御醤」はわずか一石五斗。これは発酵物から少量の醤油を採ったことを意味する。また、残った醤滓(ひしおかす)一石に三斗五升の塩を加え六斗五升の添醤(そえびしお)を得たと書かれている。これは二番醤油を取ったことを意味する。
このことから、奈良時代にはすでに醤の汁を使っていたという説。平城京の時代から策餅(さくべい)に和えて食べていたと推察できる。

醤油は日本人にとって神様のようなものだ。質の良い醤油が匂い立つときの力強さ、香ばしく焦げた時の引力ほど強烈なものはない。日本人はその醤油フェロモンに惹かれ、吸い寄せられるように、蕎麦屋、うどん屋、うなぎ屋へ、そして焼きおにぎりを注文するのである。実は、日本人の本当の主食は醤油なのかもしれない。


300以上もの複雑な香りを醸しだす
多数の酵母菌が住み着いた天然醸造醤油蔵
:御所市片上醤油

参考文献:


徳間書店「お醤油の来た道」


新風社「平安時代の醤油をあじわう」

NPO法人奈良の食文化研究会  木村隆志
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