〜奈良にまつわるお菓子の話〜


お菓子のルーツをたどると奈良が見える
広々とした平城宮跡に復元されたそびえ立つ大極殿と原寸大の遣唐使船。これに乗って荒波の中、中国、唐のいろんな文化が日本にもたらされたが、日本のお菓子の源流もその流れの中にある。
奈良にまつわるお菓子の話はさらに遥か遡った頃にもある。古事記、日本書紀によると垂仁天皇(紀元前29年)の頃、田道間守は天皇の命により、不老長寿の木の実とされる「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を探しに、秘境「常世(とこよ)の国」へと旅立った。
そして10年後やっとその実と木を持ち帰ったが、天皇は既に崩御、田道間守は天皇のご陵の前で泣き果て亡くなったと言う。その実は「橘」で、今の蜜柑か橙ではないかといわれる。このことから今でも正月の「しめ縄」に橙を飾るのだという。以後、「田道間守」は菓子の祖神とされ、垂仁天皇陵にある田道間守の塚前に「菓祖神田道間守命御塚拝所」の石碑が今もひっそりと建つ。
実は古代では菓子と言えば果物や木の実をさしていた。菓子の菓は果であり、木の実を、「子」は実、種をさす。今でも神仏に果物・木の実を供えるのはこの意味がある。

奈良時代に入り、我が国に中国、唐から伝わったものに、「からくだもの(唐菓子)」がある。これは米粉や小麦粉をこねて捻るなど様々な形にし、油で揚げたり、焼いたり、茹でたりしたもので、ぶと、おこしごめ、結果、煎餅、まがり、さくべい、などがあり、これが今の日本のお菓子の原点なのである。
ぶとは、今でも春日大社に神饌として奉納されていると言う餃子の形をしたものだが、そのままでは少々硬く、江戸時代からの老舗「萬々堂通則」が、小豆のこし餡を生地で包む工夫をして、お菓子として売り出したのが「ぶと饅頭」である。

さらに後年南北朝時代には、奈良での饅頭の発祥がある。1349年、中国から帰国した禅僧に従して日本に渡って来た林浄因が一族とともに、奈良の林小路に住み、中国の饅頭(マントウ)の中の肉を、当時、肉食禁忌の風習もあって、小豆の餡に代えて「奈良饅頭」として販売した。これが我が国初の饅頭である。この饅頭は美味しく評判となり、後村上天皇に献上され、それが縁で、宮女を下賜されたが、その結婚祝いに配った紅白の饅頭が今も祝いの習慣となったという。
奈良市の漢国神社境内には饅頭の祖、林浄因を祀った林神社がある。毎年、命日四月一九日には全国の菓子製造業者が集まり「饅頭祭」が催されている。 

このように、奈良発のお菓子の話は古代から数多いが、それらは現在も、脈々と受け継がれており、奈良県が力を入れる「奈良のうまいもの(お菓子)」での創作菓子もそのひとつである。
遷都一三○○年に思いを馳せつつ奈良を散策し、これらのお菓子に出会えればまた楽しいことではないだろうか。

NPO法人奈良の食文化研究会  山根清孝
 TEL:0742-33-3939



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