平城遷都と奈良食文化の源流 (その1)牛乳・乳製品


まもなく平城遷都1300年祭の平城宮祉会場オープン式典が華やかに開催される。
「大和は国のまほろば」であり、大和政権いらいの食文化は、日本の食に根本的な影響を与えたが、今日世界からの食の流入と飽食の時代に入り日本の食も大きな転機を迎えている。
しかし、欧米では健康のために日本食が見直されてきている。その典型のひとつが細身でも体力を求める国際的ダンサー、タレント等に人気の「マクロビオティック」であろう。

健康のための日本食の源流は平城遷都前後の古代の歴史にあることが、奈良の食文化を研究するなかでますます明らかになっている。当会では、遷都1300年祭を記念し、このたび奈良新聞さんの好意で、この源流に迫る食文化の代表的なものを、祭典終了の12月まで9回にわたって展開することとなった。まず最初は「牛乳・乳製品」を取り上げたい。

牛乳は人に吸収されやすいタンパク質を有し、体力の育成に貢献する。但し乳糖は不耐性(消化不可)の人が日本人に多く、乳糖を乳酸菌が消化し有効な乳酸等に変えたヨーグルト等の乳酸食品がよりよいとされる。(ちなみにマクロビオティックでは牛乳、乳製品は食されないが、このことが影響しているのではないか)
牛乳は、650年ころ、飛鳥は孝徳天皇の時代に、唐の善那により「酪」が献上されたことが渡来の始まりといわれる。膳那は「和薬使臣(やまとくすしのおみ)」の称号を授かり「乳長上(ちちおさのかみ)」となって、宮廷での乳牛の飼育と「牛乳、酪、蘇、醍醐」の製造にあたったとされる。「酪」は練乳のようなもの、「蘇」は牛乳を煮詰めて成分を固めた「醗酵していないチーズ」のようなもの、「醍醐」は醗酵させたヨーグルトのようなものではなかったかといわれている。

牛乳や乳製品は、先の称号からも、天皇を始め貴人、豪族たちの健康のための「薬」として生産されていたことがわかる。今も皇室では専用の菌を使用したヨーグルトがカルグルトとして食されている。と同時に、前述のとおり、消化しにくい乳糖を醗酵させて乳酸に変えて食することは、極めて有効な食文化であるといえる。近代科学においても、乳酸菌は腸に達しなくても造られた代謝物が腸内の有効菌を増殖させ整腸作用をもち、抗アレルギーや、免疫力を高める働きがあるといわれる。
ヨーグルトを習慣的に食するブルガリアの地域に長寿者が多いことから、ロシアの医学者メチニコフが長寿の秘訣として世界に紹介したことで、ヨーグルトはさらに世界的に広がった。このようなことから、「醍醐」が「極めて素晴らしい至福の味=醍醐味」の語源となったことは、なんと見事な食文化が織りなす綾であろうかと感嘆するところである。
飛鳥の里においては、多武峰妙楽寺の僧が、当時の帰化人による唐風若鶏料理と結合させ牛乳で若鶏を煮る「飛鳥鍋」を生み出したといい、美味で栄養のある鍋として今日に伝えられている。また、若鶏肉も「やまとかしわ」として後世に引き継がれたのである。

NPO法人奈良の食文化研究会  瀧川 潔
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