「蘇」とコーヒー


昼下がりのひととき。蘇のアイスクリームが食べたくなり奈良パークホテルを訪れた。このスイーツは、アイスクリームのなかに蘇がまったりと溶け合い絶妙な味なのである。しかし、蘇のアイスクリームはすでにまぼろしのスイーツになっていた。料理長が替わったこともあって今はメニューに載せてないという。残念!仕方なくコーヒーを注文する。卓上のメニューに目をやると蘇が載っている。それではとコーヒーとのセットで蘇を注文した。
舌の上でホロホロと融ける蘇の淡い甘みと乳味がコーヒーの香りに溶けて何とも絶品。ワインとも合いそうな味である。支配人の方のお話によると昨年の平城遷都1300年記念事業で開催された「天平茶会」にはお茶菓子として、また、本年3月の東大寺における「『桜とワインの茶会』二月堂」のお茶席の点心として蘇が供せられたと伺う。なるほど、蘇はお茶やワインのお供としてすでに披露された味なのである。

ところで、日本で蘇を食すようになったのはいつ頃であろうか。
日本での牛乳および蘇の利用を実証する木簡が、1988年、奈良市の長屋王邸宅跡地から出土した。木簡には「牛乳持参人米七合五夕」とあり、牛乳を持ってきた者に米を渡すように指示したものや、「近江国生蘇三合」とあり、現在の滋賀県より蘇が納められたことを記すものもある。

古代において牛乳や蘇は薬用であった。『政事要略』(1002)によれば、700年には諸国より蘇が貢出され、奈良・平安時代を通して継続されていたと記されているが、その後は衰微してしまった。蘇とはどのような食品であったのか。『延喜式』(927年)には、牛乳を十分の一に煮詰めたものと記してある。
1984年、奈良パークホテルでは平城京跡から出土した木簡をもとに古代の貴人の宴席を再現した。復元された蘇は、京都橘大学教授の猪熊兼勝氏(当時奈良国立文化財研究所飛鳥資料館学芸室長)と伝承料理研究家の奥村彪生氏(当時国立民族博物館共同研究員)の指導のもと、当時の料理長の並々ならぬ熱意と努力の賜物である。

現在、当ホテルでは「天平の蘇」として販売し、嗜好品としての利用が多いが、健康食としてもすすめている。
食文化論を受講する学生達に蘇を食べた感想を聞くと「チーズのようなコクのある濃厚な風味。しっとりとしてほんのり甘い香り」など好評であった。蘇はチーズのような発酵食品ではないが、ホロホロとした食感と風味がそういわせたのであろう。
奈良パークホテルの蘇の復元により、県内では蘇のケーキやアイスクリーム、まんじゅうなど、奈良らしいスイーツが誕生し、販売されている。薬用から嗜好品へと時代を経て蘇の利用も変わったが、美味なるものへの嗜好は古代人も現代人も同じである。

冨岡 典子



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