平成22年に開催される平城遷都1300年祭。平城宮跡などを中心にした主な事業概要がすでに紹介され、今年から県の歴史、文化への興味関心を高める取り組みが展開される。食文化を専門にする筆者にとっては、1300年前、平城宮で貴族や役人が楽しんでいた食事について関心が高いところである。
奈良時代の人々の食事については、これまで平城宮跡から出土された木簡や土器、さらには文書史料をもとに、考古学者や料理研究家などが再現を試み、おおよそ解明されている。

史料のひとつである『万葉集』の中に、「春日野に、煙立つ見ゆ、娘子(おとめ)らし春野のうはぎ、摘みて煮らしも」という歌には、当時の野菜を煮物にして食べていたことや「醤酢に蒜つきかてて鯛願ふわれにな見せそ水葱の羹」の歌には水葱を汁物にしていたことがうかがわれる。水葱は、この時代、宮廷の園圃で栽培されていたことが『延喜式』に記されている。
水葱は、和名をミズアオイ(ミズアオイ科ミズアオイ属)といい、古くから日本に自生している。全国各地の浅水域や水田に生育する一年草であり、細長い心臓型の葉をつけ、その葉茎部を食用とする。食用時期は4月から9月にかけてであり、9月には青紫色の可憐な花を次々と咲かせる。

このような水辺に生育する植物を食べることは、かつてはたいへん盛んであり、そのためこの水辺の食用植物に「水菜(みずな)」という名前までつけたのである。そのなかには、「ひし」「まこも」「せり」「じゅんさい」などがあげられる。現在、ミズアオイは環境庁植物版レッドデータブック(2000年)で絶滅危惧U類に位置づけられているが、これら水生食用植物はかつての日本の採取文化を考える上で貴重な野菜といえる。

平成16年から、蜷i氏(元奈良県立医科大学看護短期大学部教授)は宇陀市大宇陀区の休耕田を利用して、ミズアオイを栽培・増殖している(平成17年10月3日の奈良新聞で紹介)。ミズアオイの食用時期は前述のように4月からと植物図鑑にはあるので、春の野菜と思っていたが、宇陀地域では6月になってようやく芽を出す初夏の野菜である。若葉を茹で物にして食したところ、ピリピリとした渋みや辛味が舌に残る。この特性は最盛期の7〜9月になるほど強くなり、野山の植物を食べる機会が少なくなった現代人にとっては、少々刺激的な味でもある。

さて、宇陀で栽培したミズアオイで、『万葉集』の「水葱の羹」を再現すべく奈良市宝来の奈良パークホテルを訪れた。当ホテルは、天平時代の宮廷料理を再現した「天平の宴」を現代人の感性に合う料理に仕上げていることで知られる。この料理を担当しているのが尾道調理部長であり、考古学者や料理研究家の支援を受けながら、研究を重ねること二十数年を経て完成させたという勉強家である。尾道調理部長のもと、再現した「水葱の羹」はスッポン、ミズアオイ、赤米餅、針生姜を用い、藻塩で調味した汁物になった。スッポンの旨味が汁に出てコクがあり、ミズアオイの大きな葉が椀に広がって、見た目にも美しい、美味しい汁物に仕上がった。「水葱の羹」は今後、「天平の宴」の料理として、供されることになった。

奈良時代において、野菜としては低廉のものであったと記されている(『奈良朝食生活の研究』)が、青菜が少なかった時代には貴重な野菜であったろう。再現した「水葱の羹」は、単に古い時代の食を知るということだけでなく、この時代を生きた人々が「日本料理の形成」に果たした役割を学ぶのに繋がってほしいものである。平城遷都1300年祭が、一過性のイベントに終わらないことを願いつつ。

ミズアオイの栽培場所(6〜9月)=宇陀市大宇陀区出新(千軒舎の裏)
「天平の宴」奈良パークホテル=奈良市宝来の阪奈道路沿い
TEL0742(44)5255


奈良の食文化研究会:冨岡 典子