十一月十五日の日の出とともに、狩猟シーズンが幕開けとなり、県内でも待ちに待ったハンターたちが宇陀や吉野山間地の猟場に獲物を追って分け入ったことが奈良新聞で報じられた。猟期は二月十五日までの三ヶ月間。この記事を目にして、二年前に東吉野村ではじめて食べた「ぼたん鍋」の美味しさがよみがえり、食指が動いた。

桜井市内から国道一六六号線を吉野方面に車を走らせることおよそ五十分、東吉野村辺りになると「ぼたん鍋」「しし鍋」の看板をあげた民宿や食堂が目に入ってくる。樹氷の頃は冬山登山者が多くなる高見山が近い。
車中では、博学の友人が「イノシシは関東以南に多く棲み、夜に餌を求めて活動する習性。旬は十二〜二月。古くから山鯨と呼ばれ、薬喰いと称して食べられた。イノシシの肉を食べると体が温まるといわれるから冷え性の女性には有難い食べ物云々」などと講釈してくれ、「ぼたん鍋」を予約した民宿に着くまで話題は尽きない。

猟友会吉野支部では昨年約七十頭のシカと約二十五頭のイノシシを仕留めたというが、この頭数からみてイノシシの肉を今や口にできる量は僅かである。
人びとが山野に食糧を求めた時代、哺乳動物の中で最も多く食品になったのはシカとイノシシであったことは明らかであり、各地の貝塚から出土した哺乳類の骨六十種のうちイノシシとシカの骨が非常に多く、その九割までをしめている。

六七五年の天武詔「牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食うことなかれ、もし犯すことあれば罪せん」の肉食禁止令以来、仏教の影響で獣肉を食べなくなったようにもいわれるが、禁止令は四月から九月末までの間の季節限定であり、イノシシ、シカ、タヌキ(狸)などの野獣は含まれていないことから、これら獣肉は多く食べられたといえる。『延喜式』(九二七年)には、正月三ヶ日の御料として進貢する猪宍、祭祀・食用・工芸用の猪肉・猪脯・猪膏についての記録もある。
江戸時代においても、殺生戒がやかましくなっていた京都で、冬になるとシカ、イノシシ、ウサギの類を商う所があり、そこを鹿屋(ししや)町といった。この時代、イノシシを「山鯨」「牡丹」などと称して看板をあげて客を呼んでいたという(『雍州府志』一六八四年、『江戸繁盛記』一八三二年)。寒い季節には脂が多くのる獣肉の中で、最も美味なイノシシが好んで食べられたのは当然のことであろう。

さて、予約した民宿に到着。ぼたん鍋をセットしてあるテーブルに案内され、真っ赤な大輪の牡丹の花のように盛ったイノシシ肉を目の前にして一同、わぁと歓声が揚がった。芸術品ともいえる色合いの肉と視覚に訴えかける盛り付けに、あらためてこの季節の恵みに感謝した。
ほんのひと時、ゆっくりと伝統の大和の茶粥を頂きながらこれまでの自分、日常の自分をちょっと見つめてみるのも一興である。


イノシシの肉は獣肉独特の風味があるので濃い目の味噌出汁でじっくり煮込むと美味しくなる。たっぷりの香味野菜は地元で採れたもの。粉サンショウの薬味でいただいて体が芯から温まった。欲を言えば、香味野菜として香り、肉質に優れた「宇陀金ゴボウ」、冬に特に甘みが増す「大和太ネギ」、歯ごたえの「千筋みずな」、香りの上品な「大和きくな」など大和野菜を添えればまさしく絶品「大和のぼたん鍋」になる。


*「ぼたん鍋」は宇陀、吉野、月ヶ瀬などの民宿および食堂で予約するとよい。一人前およそ5千円。平城遷都一三〇〇年に向け、奈良の名物料理になった「しし鍋」。郷土の味を是非賞味していただきたいものである。


奈良の食文化研究会:冨岡 典子