<文豪谷崎潤一郎も食べた?>
正月に因んでお餅のご紹介などさせていただこうと思います。 今回訪ねたのは、吉野町で200年にもなろうかというお店の焼餅です。 文豪谷崎潤一郎の短編「吉野葛」の舞台になったこの辺りは、南朝を支えた歴史のある土地柄で、谷崎が取材に訪れた明治の末から大正の初めは、現在の様に電車や車で気軽に行ける場所ではなかった様です。作品のなかではこのように書かれています。

「…ガタガタの軽便電車で吉野駅まで、あとは吉野川に沿うた街道を徒歩で出かけた。万葉集にある六田(むつた)の淀、
――柳の渡しのあたりで道は二つに分れる。右へ折れる方は花の名所の吉野山へかかり、橋を渡ると直に下の千本になり、関屋の桜、蔵王権現、吉水院、中の千本―――、左に取れば…街道に並ぶ人家の様子は、あの橋の上から想像した通り、いかにも素朴で古風である。ところどころ、川べりの方の家並みが欠けて片側町になっているけれど、… 黒い煤けた格子造りの、天井裏のような低い二階のある家が両側に詰まっている。」

谷崎が友人とこの地を訪れ南朝の隠れ御所跡や、狐忠信初音の鼓にお目に掛かろうとした頃は、まだ上流から木材を筏で運ぶ筏師が川を往来していました。またもう少し昔には六田に史跡が残る「柳の渡し」のような、対岸に人や荷物を運んだ渡し場がいくつかあり、こうした人々が、船待ちをしたり宿泊した船宿が吉野川沿いに6〜7軒あって、食事や弁当、鮨や焼餅を作って売っていたそうです。

近年いくつかの橋も架けられ渡し船もなくなり、昭和38年には、津風呂川を堰きとめて津風呂湖ができ、筏師も船宿もだんだん店仕舞して、今日ではこの「こばし焼餅店」1軒だけになってしまったと言うことです。 こうした歴史事情に思いをはせて立ち寄ったこの店は、建物は改修が進み、一部をガレージにするなど往時の面影は無いのですが、内部に残る柱や梁に200年を超えた歴史の残影が垣間見られます。船宿を閉めもっぱら焼餅を作って現在は4代目。その味の素朴さと品の良い形、口当たりの良さで吉野ではよく知られ愛されています。店主の小林道男さん(55)夫婦と、忙しいときには先代の健作さん(82)も手伝い、家族による手作りなので一日に作る数は限られ、大体午前中でほぼ売り切れるそうで、取材に伺った時も、予約品の予備から取り出して試食させて下さいました。欲を出さず、昔から受け継いだままの材料と加工方法で作っていて、変更したところは全く無い、確かにもはや手の加えようの無い完成品という感じがします。

餡は北海道十勝の豆を使用、餡を煮る火加減が一番難しいとのこと。漉し餡と粒餡があり、春には蓬入りも作っています。餡が餅の白い衣ごしに透き通って見え、鉄板で焼かれた焦げ目との色合いが良く、いかにも美味しそうで甘さも控えめ、大きさも手ごろ、三つ四つ食べても腹にもたれません。

小さな食品が伝える吉野の味、南帝の後裔の地であるという人々の誇りが伝わってくるようです。文豪がこの餅を口にしたという記述は作品の「吉野葛」には見当たりませんが、恐らくここまで来れば立ち寄って食したことは想像できますね。 「こばしの焼餅店」は吉野川沿いの道路に面してあり、よく注意しないと見過ごしてしまいそうな目立たないお店です。 予約して出かけられることをお勧めします。

こばし焼餅店
住所:吉野郡吉野町立野
電話番号:0746-32-2347(木曜定休)


奈良の食文化研究会:林崎 幸一