梅雨もようやく明けて、太陽の照りつける夏となった。暑い中でも、よし簾で陽光をさえぎり、風鈴の音を聞きながら、ひんやりと冷たい和菓子と味の良い大和茶で涼をとるのも、なかなか風流である。
冷たい和菓子と言えば、大宇陀に「丁稚ようかん」があるというので、早速探訪に出かけてみた。
大宇陀町は今年1月より宇陀市となったが、弥生式住居跡や多くの古墳を在し、中世には秋山城を中心とした宇陀松山として発展、
徳川期には松山藩織田三万石の城下町として九五六軒三、七ニ八人を抱えたこともある由緒ある地域である。
町並みは伊勢本街道と南路伊勢街道を結ぶ松山街道として交通の要所でもあった。
古代は大和朝廷の狩場でもあり、柿本人麿の「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて・・・」の歌が詠まれたという「かぎろひの丘」と松山城址の間を流れる宇陀川に沿った街道に、旧い町屋が立ち並んでいる。その中に、目指す「丁稚ようかん」を今も製造し販売している「田中日進堂」さんはあった。
店はいかにも旧町屋の風貌を携え落ち着いた構えである。日進堂は明治の創業で、この地では最も旧い和菓子屋であるという。三代目にあたる田中準二さんにお話を伺った。

「丁稚ようかん」の名の由来は、商家で働く丁稚が盆暮れに里帰りをする際、土産にもたせてやれる「値段の手ごろな庶民のようかん」にあるという。羊羹は今でも高級和菓子だが、うれしい里帰りに「ようかん」を抱えて家路を急ぐ「丁稚どん」達の様子が思い浮かぶ。
「丁稚ようかん」は近畿各地にあり、滋賀、京都では竹の皮に包んだ練り羊羹であるが、宇陀(名張、上野)では寒天を使用した「水羊羹」である。宇陀松山は葛の生産地でもあり、旧くは葛を使用したのではないかと思われる。

田中さんは八歳で先代に死別し、残された文書を元に多くの工夫を加え今日の和菓子に発展させられた。
昭和52年には全国菓子大博覧会で金賞を受賞された伝統職人である。訪問前の「家庭での丁稚羊羹作りを教えてほしい」との要望に快く応じ、完成品とレシピを用意していて下さった。心から感謝したい。
写真を撮影した「本物の丁稚羊羹」も、「味を比べてください」と頂戴し恐縮してしまった。
大宇陀の「丁稚羊羹」は、ひんやりと上品な甘さが口一杯に広がる夏のお奨め一品である。
栄えた昔を偲ばせる豊かな情緒と伝統の技をも、同時に味わい、久しぶりに心和む時を得ることができた。




案内: 御菓子司 日進堂   TEL0745-83-0146  宇陀市大宇陀区拾生1870

奈良の食文化研究会:瀧川 潔



<材料>
・粉寒天 4g
・水 400cc
・白砂糖(又はグラニュー糖)100g
・餡(砂糖入り)200g
・片栗粉4gと水100g
※他に、鍋、(水に浮かべて冷ます)容器、型容器(カップかタッパー)、扇風機、を用意する。

<作り方>
@水に粉寒天を入れ火にかけ、攪拌しつつ1分30秒ほど沸騰させ、砂糖を入れた後再度火にかけ攪拌する。
A砂糖が溶けたら、餡(あん)を入れ、もう一度火にかける。
B沸騰したら火を止め、片栗粉に水を入れて溶いたものを攪拌しつつ入れ、また火にかけて沸騰させて火から下ろす。
C大きめの容器に水を張り、鍋を入れて攪拌しつつ冷ます。
D底をさわれるくらいに冷めたら型容器に流し込み、扇風機で冷やす。
E固まったら冷蔵庫で冷やして、お召し上がりください。