盆踊りや帰省で町の人口が一度に2倍の賑わいになり、お盆が明けると祭りの後の寂しさと静けさに戻り、秋がゆっくりとやってくる。日本の夏の風情であるが、奈良の山間部のふるさとも同様のようである。
今回はそんな山間の大塔村で昔から「とうがらし味噌」を自家生産されているという農家と、その「とうがらし味噌」を自家生産商品化して市場に出している大宇陀町のファームを取材してみた。
山紫水明の大塔村坂本「とうがらし味噌」は刻んだ生唐辛子に味噌と砂糖と魚で煮詰めてつくった調味料である。ところがこの素朴なとうがらし味噌は実に旨い。大塔村産業建設課の井筒さんの紹介で唐辛子味噌を自家生産されている生産農家を紹介していただいた。
五条市から十津川方面へ車で約40分で山紫水明の山村の大塔村坂本へ、国道168号線から脇へ、車一台がやっとな急峻な阪道を駆け上げると坂本ダムを一望できる高台に到着。そこに今回の取材先の迫さんのお宅がある。
「こんにちは」と案内された迫家のお宅は郷愁を誘う古民家。迎えてくれたのは煤(すす)で黒光りした柱や天井の時代を感じる木造家屋。「風格がありますね」「心が癒されますね」と尋ねると、「そうですねん。この家は築400年位になる古いものですねん」と主の迫宗弘さん。
風格のある煤に染まった天井、柱、建具奥吉野地方に伝わる「とうがらし味噌」を作っていただくのは奥さんの迫和子さん(72歳)と分家の迫矢生子さん(75歳)のお二人。「腰も足も痛いのやが、口はまだ18歳と思っているんよ」と年を感じない若さ。お二人の言葉はどことなく関西弁訛りではなく、優雅な宮ことばを感じる。奥吉野へ生き延びた平家落人の末裔を思わせる。
さて、とうがらし味噌であるが、いつの時代から作り始めたかは不詳であるが、迫さんによると大塔村や天川村では昔からどの家庭でも作っていたらしい。しかし今では大塔村でも少なくなって来ているという。
(左)迫 和子さん(右)迫矢 生子さん
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作り方は意外と簡単で収穫したとうがらしと、その葉とピーマン、パプリカを湯掻いて細かく刻む。油で炒めて味噌とシーチキンと砂糖を入れて混ぜながら水分がなくなるまで煮込んで出来上がりである。
「この味噌はな、その家々で材料が微妙に違うので、一つも同じ味は出来ないの」と迫さん。今はシーチキン缶詰を使ってるが昔は鰊の干物を使っていたらしい。柿の葉寿司と同様に、もっと古くは熊野からくる鯖を用いたのかもしれない。鯖街道と平家の落人、歴史のロマンを感じる山紫水明の奥吉野大塔村である。
このとうがらし味噌を迫さんの自家栽培の蒸かしじゃがいもに塗っていただく、素朴な味で旨い。冷えたビールが欲しいとところだ。冷奴やおにぎりに載せてもこれはいける。最近では県主催の郷土料理のフェアで出品し大盛況だったと迫さんはいう。大塔村の道の駅の向かいにある郷土館でこの味噌を食べることができる。ここも迫さんが指導したものであるらしい。まだまだ元気で郷土の食を語り継いでいただきたいと願うばかりである。
大宇陀町の「阿騎野の佃煮シリーズとうがらし」は地元のツザキファームの津崎さんが、試行錯誤の上20年以上かけて開発されたとうがらし味噌である。地元の道の駅などで既に販売していて、年々倍増の売れ行きであるという。試食させていただいたが、なるほどこれは売れるとうなずける商品である。
ツザキファームの津崎さん
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「阿騎野の佃煮シリーズとうがらし」
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