吉野郡川上村に昔から伝わっている「火打餅(ひうちもち)」と呼ぶ餅が村の道の駅ホテル杉の湯で販売されていると聞いた。いったいどんな餅なのか興味深い、全国にその名を知られた吉野杉の産地であるから、何やら林業に関係がありそうとの気もする。
国道169号を川上村めざして車を走らせる、吉野町宮滝を過ぎて長いトンネルを抜けて川上村に入ると、渓谷に大滝ダムの巨大な堰堤(えんてい)がそびえている。威圧感をもって迫るその姿は川上村すべてをのみ込んでいるかに見えた。吉野山の対岸を通過してから約二十五分で川上村役場に着いた。

産業振興課の大前さんにお願いして「火打餅」の加工所へ案内していただく。国道から脇道に入り、昼でも薄暗い杉林のなかの急坂を十分近く走っただろうか。突然視界が広がり、加工所のある川上村高原の集落に出た。車を降りると、その風景の美しさは心の中まで洗われるようなさわやかな気分にしてくれる。 早速加工所にお邪魔をして、当所の主小泉東輝興(ときこ)さん民辻道子さんから「火打餅」の来歴について話を聞かせていただく。

ふだんは二人で作業をし、注文量が多いときだけ応援をたのむそうだ。
昔から家庭に伝わってきた「火打餅」を、今から十九年前に村の漁業組合が商品化した。その事業は村おこしの先駆けだと小泉さんは語る。その事業を今は二人でひきつぎ守っている。「火打餅」という名は、お釈迦様が使っていた火打ち石に似た形に作ることに由来するそうだ。
四月八日を「オッキョウカ」といい、オッキョウカは花より団子といって「火打餅」を作って供え、お釈迦様の誕生を祝う。また、この日は杉の木の皮を剥(は)ぎその(さお)竿の先端だけ枝を残して、そこに山吹、シャガ、ツツジの花をしばりつけて各家に高く立てるのが習慣であった。そのことは川上村の村史にも「杉の竿を高く立てると鼻の高い子が生まれる」といってその高さを競ったとある。

火打餅の季節には学校給食にも使われ、四月十二日の献立は、春のちらしずし、おひたし、すまし汁、火打餅となる。よもぎとうるち米の粉を練り合わせた生地に、甘さを控えめにしたこしあんを包んだ団子は、よもぎのかおりと絶妙に調和し、その食感は集落の風景に感動したさわやかさにも似ている。風光明美な山里の風土に育まれた絶品であった。


奈良の食文化研究会:大江 卓司



火打餅

<材料>(4人前)
・うるち米の粉
・よもぎ
・こしあん
・砂糖
・塩


<作り方>
@ヨモギは、新芽のところを6-7センチほどに摘みとってゆでる
Aゆでたヨモギは、1日程度水にさらしてアク抜きをする。苦味がなくなれば手でしぼって水を切る
B米粉は熱湯でこねる、固さは耳たぶくらいに。まとめて、20分間蒸す。ヨモギも温めておく
C蒸した生地は、ヨモギといっしょにし、少量の塩を加えてヨモギと米粉が完全に混ざるまで臼(うす)でつく
Dこしあんは、好みの甘さに砂糖を加えてよく混ぜ合わせる
E生地は適当な大きさに丸め、薄く伸ばし、あんを丸めて包む