「お水取りがすまなければ、春がこない」と、この時節、あいさつ代わりのように、よくいわれるが、奈良を代表する季節感あふれる風物詩「お水取り」。これは東大寺の中でも最も伝統のある、修二会(しゅにえ)という法会の一部である。かの天平の昔より今日まで、連綿と続き、なんと、千二百五十四回目をむかえるという。しかも途中一度たりとも途絶えることなく。

三月一日から十四日間を本行といわれ、十一人の練行衆とサポート役とも言うべきさまざまな役目を担っている人たち三十九人で組織だって構成され、進行していく。
行中の練行衆の食事は、公的で、正式な食事と、私的なものの二種ある。前者は、一日一回、毎日正午から、食堂(じきどう)で、厳格な作法やお祈りをともなう、一種の仏教儀礼としてのものである。 後者の方は、一日の行を終えた後の練行衆の夜食となる茶粥(ちゃがゆ)・「ごぼう」である。

その作り方と、独特の食べ方を公開していただけるとのことで、東大寺へと参内した。 東大寺大仏殿から東へ。二月堂の大屋根と懸崖(けんがい)造りの西側の舞台廊を見上げる。やがてその欄干越しに、松明(たいまつ)がかかげられて、繰り広げられる火の饗宴の時を思いつつ、さらに北へ進むと、練行衆が本行の間、寝泊まりする参籠宿所と食堂がある。その間の細殿をくぐり、石段を登ると、北の茶所へ着く。その入り口を、心身が引き締まる思いのまま、入ると、もう番茶の香ばしい香りが立ちこめていて、安らかに出迎えていただいた。


そこで、四十年、修二会に籠(こ)もって童子(童子というと子供を連想するが全員大人で練行衆の世話係)の役目を担ってこられた野村輝男氏がその解説に当たってくださった。
正式な食事の方は、湯屋と呼ばれる台所で調理され、食堂にはかついで、運び込まれ、毎日正午から食堂でしきたり通りに執り行われる。その後の十二時間ほどは一切の飲食をたって、声明を唱えたり、堂内を動き回ったりする激しい行が続く。その行を終えた練行衆は下堂して、参籠宿所へ入り、衣を脱いだり、顔を洗ったり、うがいをしたりして各自の部屋に落ち着く。そこでいただくのが、「ごぼう」である。

強火で炊くためゴボゴボと音がするから名付けられたという言い伝えもあるそうだ。 この「ごぼう」は参籠宿所の中で童子によって炊かれる。四部屋に分かれた、その部屋ごとに童子部屋が付属していて、そこに切られた囲炉裏(いろり)で炊かれる。準備はお昼ごろから始まり、練行衆の下堂時刻二時間ほど前に、炉に大きな鍋を掛けて炊き始める。番茶は木綿の袋に入れ、その渋みを抜くために、炭火の弱火で十時間、炉に掛けっぱなしで煮出す。そこに米を入れ、大量の木炭をつぎ、炊きあがったところで、鍋の中の米粒を半分ほど「味噌(みそ)こし」のようなざるですくいあげる。これをおひつに入れると、なかでふっくらと蒸される。この重湯と分離された茶番の色に染まったご飯を「げちゃ」という。
これは「あげ茶」の省略語とも言われる。食べる時はこの「げちゃ」に重湯の「ごぼう」をぶっかける。「ごぼう」だけだと重湯状態の粥になり「けちゃ」がおおいとご飯に近づく。

年配の僧は消化のよい「ごぼう」だけを食べ、若い僧はそれだけでは物足りないので腹持ちのよい「げちゃ」を多くして食べたり、焼いた餅(もち)をいれて、たべたりと、各人その日の体調に合わせて調整のきく食べ方ができる。副食に漬物(切り当てという)や野菜の煮物がつき、素朴なこれも精進料理である。

これまで修二会に、三十回参籠された守屋弘斎東大寺長老は、前日正午の法事としての食事から、一滴の水たりとて飲まない空腹の身に非常にありがたい格別の忘れられない味であると語られている。
この時期、日中でも、きびしい冷え込みが続くが、底冷えも増す闇の中で深夜に及ぶこの行を終えた僧たちを、香(かぐわ)しい香りで満たされた参籠宿所で、迎えるにふさわしい味であろうことは、思い察することができる。この日、銅製の鍋で炊かれた温かい「ごぼう」を、奈良漬などと、共にいただくと、素朴ながらたいへん、身にしみこむような味で、さらにおかわりも。

本尊十一面観音菩薩に人々の幸福を祈り、多くの戒律の中で荘厳に執り行われるこの行法。これと、対比されるほどに、私的な和やかなひとときを、この“味”が取り持ち、そして盛り上げる。その日の行のことなどが、話題になって、話に花が咲くという。 野村氏らのご苦労は、僧の下堂の時刻が日によって異なるので、僧らが食するときに、いかによい状態の「ごぼう」を用意するか、いつも配慮されているとのこと、この行を裏方で支える方たちの心配りがうかがえる。

調理方法は、口伝と体験で勘に頼るところが大きく、日によって、またその釜によってもさまざまな出来具合となるようである。 が、家庭でも試してみるとしたら、とあえてレシピにしていただいた。これが絶対の分量・作り方ではなく、あくまでも参考にして、水や火の加減、調理法も、それなりに工夫して、この「ごぼう」を、家庭の味を出したものにしてもらえたらとのこと。 たぐいまれな、勇壮な伝統行事としてしかこれまでみていなかったけれど、この中にも、こうして欠かすことのできない「食」の存在を知り、新たな興味をそそられる。 そしてこの法会にかかわるおおくの人々の、それぞれの勤めを終えた後の、春迎えのその時に、思いを馳(は)せた。



奈良の食文化研究会:松波 芳子



ごぼう

<材料>(10人分)
・米約600グラム(4合前後)
・水10リットルぐらい(5升余り)
・番茶2つかみ半
・塩少々
・副食(漬物・梅干し・塩昆布など)

<作り方>
@炊く3−4時間前に、米を洗って用意しておく
A茶を茶袋(白い木綿の布製)に入れ、袋の口を縛ったものを適量の水とともに鍋で炊いて茶を煮出す。途中水を足しながら、少なくとも1時間。渋みをとり味にまろやかさを出すために
Bそこに米を入れ強火で一気に30分ぐらいで炊きあげる。米粒を踊らせ、甘みがでるように
C「ごぼう」が炊きあがると、ころ合いをみて、米粒の半分ほどを、味噌こしかざるのようなものですくい上げて「げちゃ」にする(すくう米の割合は一定でなくて構わない)。よく湯を切り、おひつに入れて60分ぐらい蒸らす。「げちゃ」は冷や飯で代用してもよい
Dすくい上げた「げちゃ」はおひつごとに毛布などでくるむと、蒸れ具合が良くなる
E「げちゃ」をすくったあと弱火にするが、ノリ状にならないように注意する
F塩を少量入れて薄めの塩味にし、茶碗に「げちゃ」をとり、それに重湯状の「ごぼう」をかけて、あつあつを食べる。「ごぼう」「げちゃ」ともに分量・割合は自由に、加減する。