世界的な異常気象と天災の多発で「妙に暖かい冬」と思っていた矢先、年末になって急に寒さが厳しくなり正月も過ぎて小寒、大寒、思うまもなくもう立春を迎える候となった。
中国伝来の暦で言う「二十四節気」で大寒の後が立春というのは、厳しい寒さの折に春を待つ心を浮き立たせる絶妙の配置であり、季節の変わり目を表す心憎いばかりの展開であると関心させられる。
立春の前日は、いつの日にか「節分」と言われるようになったが、もともと節分とは二十四節気のうちの「季節の移り変わる時」を示す「立春、立夏、立秋、立冬」をさすものであるという。節分には鬼を追い払う行事が全国で展開されるが、春を迎える直前に悪いものを払おうという人間的な感覚が庶民に受け入れられたものであろうかと推測される。




奈良市の観光地として有名になった「ならまち」を代表する元興寺(がんごうじ)の節分は、なかなか味があって面白い。その「味」のなかにあって、料理の味を主張する「酒粕(かす)汁とかやくご飯」があるというので、近鉄奈良駅から南へ、いにしえの町並みを左右に楽しみつつ元興寺を訪ねた。

広大な旧伽藍(がらん)の土地の北の一角に、現在の元興寺はこぢんまりと残されている。
ここで辻村泰善(たいぜん)住職、大奥さまの峯子さん、若奥さまのるみ子さんにお話を伺った。
元興寺は南都七大寺のなかでも指導的な役割を果たした寺で、前身は今、大化の改新で有名な曽我馬子が初めて正式な仏寺として飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)であり、奈良の遷都とともに奈良に移されたものである。泰善住職のお話では、この元興寺の伝説に、その昔鐘楼に鬼が出て都の人々に災いをもたらしたが、この寺に入寺した「雷の申し子」という怪力の童がこの鬼を退治し、以来雷を神格化して「元興神(がごぜ)」と称し、鬼のような姿で表現した、とある。 これが雷を鬼として描いたり、鬼を「がごぜ」「がごじ」「がんご」等とよぶ例が全国に広がる元となったという。
したがって、元興寺では鬼には悪い鬼を払う良い鬼もいるということで、二月三日の節分会では「福は内、鬼も内」と呼ぶのだそうである。

元興寺の節分会は、豆まきの他に、山伏の焚く山から伐(き)り出した大きな「柴燈護摩(さいとうごま)」とそれを崩した上を渡る「火渡り」行事が有名である。ちょっと怖い気もするがぜひお渡りいただきたい。境内で売られる、表に画家富田利雄の干支(えと)の酉(とり)が描かれたかわいい絵馬も良い記念になる。


さて、この節分会のお世話をする人々に振る舞われてきたのが、「粕汁とかやくご飯」で、お菜には「水菜の辛(から)し和(あ)え」や「金時豆の煮物」が出され、奈良漬やたくあんが付けられる。
寒い時期だけに、身体が温まる粕汁に春を感じさせる水菜の辛し和えが食欲をそそる。庫裏(くり)の台所で約七十人分を炊き上げるという。 粕汁はこんぶとしいたけでだしをとり、大根、人参(にんじん)、こんにゃく、油揚げを千切りして入れる。味に定評のある元興寺の粕汁の特徴は酒粕にある。

この酒粕は峯子さんの親戚(しんせき)筋にあたる酒どころ広島の酒蔵の一つである「加茂泉」から取り寄せた「手絞り」の「酒も滴る」酒粕で、香りも味もひとしおである。酒の弱い人なら、一切れで赤くなるという。 かやくご飯には、しいたけ、こんぶのだしに、油揚げ、ささがきごぼう、人参を入れる。お菜の水菜の辛し和えは、白ごまをすり鉢で少し粒がある程度にすり、薄口しょうゆを少々、白みそ少々にに練りからしをいれて、茹(ゆ)でた水菜を入れて和える。金時豆は前日より煮ておく。しょうゆに砂糖を幾分多めに入れ、甘味を強くしておく。大鉢に出して「おとぎ」とする。 鬼、酒呑(しゅてん)童子、酒粕とつなげ、「鬼も内」に何か納得しつつ、温かい気持ちで元興寺を後に、ならまちを駅へ辿(たど)った



奈良の食文化研究会:瀧川 潔



水菜の辛し和え

<材料>(4人分)
・ゆでた水菜240グラム
・白ごま10グラム程度
・白みそ50グラム程度
・ねりがらし適量

<作り方>
@水菜はさっとゆで、水気をしぼっておく
Aすりばちで炒(い)った白ごまをすり、白みそ、ねりがらしを入れてあえる
B@の水菜を入れてあえる