長く暑かった夏がようやく過ぎたと思ったら、一足飛びに晩秋を迎え紅葉を愛(め)でるまでもなく山は初雪を迎えようとしている。
近年お定まりの異常気象は、今年、台風の多数襲来となって現れたが、山の木の実の不作で各地で熊(くま)が人里に下りて、この吉野でも被害が出ている。
被害は大変だが、お腹をすかせた熊も何かかわいそうである。
「カヤ(榧)の木山のカヤの実は、いつかこぼれて拾われて...」と歌にもある榧の実は、昔は山里の香ばしい冬の食料として普通にあったようだが、昨今一般の人にはほとんど知られていない。
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榧はいちい科の針葉高木で、秋、アーモンドのような形をした硬い殻をもつ実をつける。この実は香り高い油脂をもち、古来炒(い)って食べたり、油脂を搾り食用や薬用に用いられてきた。
このかや油をったしい「がらんぼ鍋」が奈良市の大安寺にあるという。一体どんな鍋で、どういういわれがあるのだろうか、興味しんしん、秋も深まった大安寺を訪れた。
大安寺は、南都七大寺のひとつで、由来を遠く飛鳥、幻の百済寺にもつ由緒ある寺院である。今は大安寺町の一角のこんもりした林に囲まれた小さなお寺で、癌(がん)封じで有名な一月二十三日の光仁会(こうにえん)、六月二十三日の竹供養のお寺として庶民に親しまれている。
飛鳥の大寺院であった大安寺は平城遷都とともに現在の地へ移され、当時は左京四坊を六条から七条にまたがる南北約五百五十メートル、東西約三百三十メートルの大伽藍(がらん)を構え、南に東西の七重の塔、金堂、講堂の周りに三重の僧坊を廻(めぐ)らし、八百八十七人の学僧が住んで修行に励んだ奈良時代の「仏教総合大学」であったという。寺では大安寺復興に生涯を捧げられた先代貫主河野清晃大和上夫人の河野久子さん(90)が待ち受けておあられ、がらんぼ鍋についてのお話を伺った。
「がらんぼ鍋」は、寺に古くから伝わる精進料理である「大安寺汁」が大元である。大安寺復興を進めてこられた清晃貫主が記録に基づいて、特色あるお寺の精進料理「伽藍坊鍋」として、塔の相輪を象(かたど)った蓋(ふた)を持つ土鍋の形などを整え、久子夫人が料理に携わることで広められたようである。
各界のお客様が大安寺を訪問され、夫人のがらんぼ鍋と料理を絶賛、大変忙しい時もあったと懐かしそうに話していただいた。
鍋にコブでダシをとり(椎茸=しいたけ=や干瓢=かんぴょう=を入れるとなおよい)カヤの油を小さじ2杯ほど入れ、赤米から作った赤酒を加え、醤油(しょうゆ)で味を調えて、主材料の豆腐と季節の野菜(菊菜、三つ葉など)を入れて煮立て、汁ごと、もみのりを入れていただく。簡素ながら上品で栄養価もあり、香り高い精進の鍋である。「大安寺風湯豆腐」と考えてもよい。
かや油はごま油等に比べると穏やかで香りがよいだけでなく消化もよいので、食べ過ぎたと思う時でもお腹がすっきりする。身体も温まるので、カロリー確保とともに厳しい冬の修行僧たち」には極めてありがたいご馳走(ちそう)であったとおもわれる。白いご飯にかけて「ぶっかけ」としていただくこともある。
かや油は最高のてんぷら油としても珍重されてきたが、これで揚げた揚げ豆腐、ひろうす(ゴボウ、ニンジン、キクラゲ、ギンナンを入れる)は本当においしい。九十を迎えてなおシャンとして話される久子夫人の料理話に思わずつばを飲み込む。
残念ながら「がらんぼ鍋」は今は大安寺でいただくことはできず、高円山の高円山ホテルで大安寺の許しを得て、華やかな鍋となって味わうことができるようにようになっている。
過日、この取材の後高円山で「がらんぼ鍋」をと予約を申し込んだが、残念にもこの日は宿泊客を含めて予約がいっぱいで、味わうことができず、またの機会を楽しみにしている。
きや油は今日貴重品で、大安寺では高野山の奥から取り寄せている。清晃貫主は若い日高野山で修行されたが、高野山では寒いので灯明の油も凍り、かや油は凍らないので灯明には欠かせない油だったという。榧の実は「蓬莱の木の実」ともいい、おめでたいもので正月の「蓬莱飾り」に使われる。榧の木は固く基盤材としても有名である。
がらんぼ鍋と大安寺。重要文化財の仏像の数々(なんと多くが榧材を使用していることが最新の科学的調査で判明した)を拝観しつつ、時空を超えて飛鳥や高野山、中国などにも思いを馳せた。そして、いろりで爆(は)ぜるカヤの実の音と香を思い、「カヤの木山」の歌を口ずさみながら、小ぶりに「復元」された南大門を出て帰路についた。
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