県の西北部、「茶筅(せん)の里」で有名な生駒市高山町。昭和三十二年までは北倭村といわれていましたが、氏神様の高山八幡宮(国の重要文化財)の秋祭りのごちそうとして、どこの家でも鯖(さば)ずしが作られています。
この地で生まれ育ち暮らして五十有余年、お母さんの代から鯖ずしを作りつづけてこられた鈴木道子さん(元生駒市JA北倭支店女性部長)宅で、艶(つや)やかでどっしりした見事な鯖ずしをいただき、「昨日とれたうちの新米で作ったんですよ」と、おすしを前にお話をうかがいました。
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高山の八幡様の祭りは十月十五日前後の日曜日。昔は十月中旬から十一月にかけては稲刈りや脱穀などの大変忙しい時期でした。この農繁期を前に豊作を願って皆で楽しみ、後にやってくる繁多の農作業への意欲や体力づくりをするお祭りだったようです。
この時期、旬でおいしく安く手に入りやすかった塩鯖と、゙わが家"で育てたお米ですし飯を作り、家々の藪(やぶ)からとった真竹の竹の皮で包んで「鯖の押しずし」をこしらえたのです。海の魚は昔は伊賀街道などからの行商で塩干ものや佃に(つくだ)煮にして届けられていました。
以前は学校もお祭りの前日からやすみでした。祭りの翌日(十六日)は運動会と定まっていたので、十四日から塩鯖を酢じめにし、十五日は朝からすし飯を作り竹の皮で包みます。三ー四時間ねかせてお祭りの夕にみんなでいただいたとか。
「翌日の運動会にも鯖ずしや家でとれたサトイモの料理、クリ、カキなどのお弁当を持って家族総出で学校に行きます。おじいちゃんおばあちゃん、父さん母さん、兄弟姉妹そろって応援して運動会を楽しみにぎやかにお昼をいただいたものです。大人も子供も何よりの楽しみでした。このひとときがまた忙しくなる畑仕事の鋭気になりましたし、子供たちもしばらく親にかまってもらえなくなるのですが、少し寂しくても頑張れたのではないかしら」と鈴木さん。今は両親共働きが多く、運動会のお昼も給食になり残念です・・・とも。
若いお母さんたちはだんだん鯖ずしを作らなくなったそうですが、それでも高山辺りではまだ三世代同居も多く、今でも家々でこしらえています。
「家も作ったよ。どうぞ」「うちのも食べてみて・・・」と、この季節には鯖ずしが飛び交うのだそうです。
近隣の繋(つな)がりが次第にうすれてきた昨今、何ともほほえましく、鯖ずしで地域の人々が繋がっているように思えました。若い方たちにも鯖ずしをはじめ゙地域の食"を何とか伝えていきたいと日々活動しておられる鈴木さんに拍手を送りたくなる、ほのぼのとした味わいの鯖ずしでした。
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