山の裳裾(もすそ)の広い原に
麦は青々とのび 菜の花は香る
その原なかの一すじ道塔の見える当麻の寺へ
和辻哲郎著「古寺巡礼」のなかの詩の一節である。
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今、二上山の麓(ふもと)から眺める当麻寺の二つの塔は、長い歳月を自然の試練に耐えてきた、といわんばかりに、錆(さび)を含んでうす黒く煤(すす)けたようなその姿が、梅雨の晴れ間、強い日差しを受けて萌黄(もえぎ)の鮮やかな照葉樹に囲まれ、みごとな色彩の調和で聳(そび)えている。
二上山は、昔も今も変わらずいろいろな表情を見せてくれるのだろが、山麓(ろく)から眼下に広がる風景は和辻哲郎が詠んだ風情の名残もない。
急速な時代の変遷は、利便性と引き換えに大切なものを多く失った。
歴史の上に遅々として積み重ねてきたすぐれた伝統技術や、文化も忘れ去られる。生きるために一番大切な食の変性も凄(すさま)じい。
当麻町には、この忘れられた伝統食品などを拾いあげて継承しようとしている幾つかのグループがあるという。おもに女性が中心のようだが、この人たちの活動拠点が、二上山の麓にある農事組合法人当麻町特産加工組合の「当麻の家」である。
ここには、農産加工施設や調理実習室、食堂などもあって、売店では組合員の作った農産物や加工品も販売している。
豌豆(えんどう)の収穫期には、小麦粉の薄い生地に豌豆のあんを包んで焼いた「しきしき」というおやつを作って販売している。取材をお願いした日は季節も終わっていたが、当麻の家常勤の理事吉村和千代さんが、わざわざ取材用の材料を用意してくださって、「しきしき」を焼いてもらいながらお話を聞かせていただいた。
吉村さんによれば「しきしき」は、御所市の一部、新庄町、当麻町に限られたもので、これらの地域で昔のことに詳しい古老を何人も訪ねて、その由来を聞いたが知っている人はいなかったそうだ。
その中で現在九十七歳の高齢の方が成長の過程で、すでに「しきしき」があって、当時のものは小麦粉に砂糖と塩で味付けをし、水で溶かして薄焼きにし、これを折りたたんだものだったという。すでに六十年前にはあんを使っていて、これを「あん巻」と呼ぶ。
昔は高級な和菓子だったにちがいない、その名の由来も何かの儀式に使ったから「式式」ではなかったろうか。
薄く柔らかい生地とほのかな豌豆の香り、郷愁をそそる味である。試食させていただきながら、こんなおやつで育てられた子供たちは、きっと命を大切に成長するに違いないと、その味をかみしめた。
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