興福寺(奈良市登大路町)境内。その広大な敷地の中に楚々(そそ)とした平屋の民家がある。
そのすぐ東に興福寺本坊、西に国宝・東金堂、またその南にも国宝五重塔とどれも重厚な建造物に囲まれた一角。表看板には「柳茶屋」「名物奈良茶飯」「わらびもち」とあるが、まわりの寺院や樹木群にも、すっかり溶け込んで、全体が一つの風景を創(つく)りだしている。

そこで作られて出されている奈良茶飯のいろいろを当主新居いねさん(79)に語っていただいた。

大和では茶粥(がゆ)とともに茶飯も古くからあり、東大寺・興福寺の僧坊でも食べられていたとの記録がある。
江戸前期には江戸の浅草寺境内で茶飯の店ができて評判になっていたようであるが、ここの茶飯は明治三十五年初代新居安次郎氏が上京の折、まちなかで、「くらわんかーくらわんかー」のかけ声とともに、桶(おけ)にいれて茶飯を売り歩いているところに出会い、久しく途絶えていたが、茶飯こそ奈良でとの想(おも)いを抱き帰ってすぐに、独自の工夫を加えた奈良茶飯を考案し、それがいまもその味を変えずに代々ここまで伝えられている。

その作り方とは常に用意されている、上煎(せん)茶と昆布を炊き出したものをだしとして用い、上白米と大豆を黄金色になるまで焦がさないようにいりその皮をむき、さらに食べやすいようにと槌(つち)で十分の一くらいあまで砕いたものを混ぜて炊く。その炊きあがったごはんの上に抹茶用の上質の茶葉の粉末を振りかけていただく。
味は何とも淡白であるが、ゆっくり噛(か)みしめればじわっとその深みのある旨(うま)みが、茶葉の香りとともに相まって味わえる。 この店では、茶飯を懐石膳・松花堂に組み合わせて出している。

わらびもち、豆腐の田楽など、年中出すものと、また季節ごとに変えるものなどいろいろ取り合わせてあるけれど、どれも淡味ながら、ていねいに調理されたものでここにも長年の年季がうかがえ、後に出される茶飯とうまくつながっていく。
そこに添えている香の物奈良漬がまたこの店特製のものとのことで、これまたよく醸し出された味である。
この茶飯と奈良漬の組み合わせについては「五機内産物図絵大和の部」(文化元=一八〇四年)にも記載があり古くから大和の産物として広く知られていたようだ。

ところでこの茶飯が盛られている器が変わっていて、なんともおもしろいと思ったら、この茶屋のすぐそばの大湯屋(重要文化財)という興福寺のお風呂であった建物の中にあるおおきな鉄の湯釜を模した、赤膚焼の陶器のこと。それが奈良茶飯の焼き印の押された木製の台にうまくおさまってる。

芭蕉の句に、この茶飯を味わわねば一流の俳人にあらずとあるとか。

古き法から近年ここ独自の奈良茶飯が生み出され、それを代々守り、受け継がれていくうちに、長い年月かけた淘汰(とうた)ののち、簡素ながら、まわりの国宝級寺院にも並ぶほどの風格が備わってきたのではないだろうか。「素朴な家庭料理ですと控えめに語る自然体の三代目ではあるが、十分もてなしの奥深いこころをいただいた。



奈良の食文化研究会:松波 芳子