正歴時より市内を西へ。奈良町福智院に室町時代の正倉院造りで有名な今西書院があり、それに隣接して今西清兵衛商店があります。
正月気分がまだ少し残った極寒の日、酒造りの伝統にこだわった「南都霰酒(あられ酒)」の醸造元、今西清兵衛商店さんを訪ねました。重い木戸を開けると高い天井、広い土間より芳醇(ほうじゅん)な香りを心地よく感じながら、ご多忙な中、ご当主清吾氏にお話を聞くことができました。
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日本酒発祥の地、あられ酒についても古い歴史をもっています。起源は慶長時代(一六一〇年ごろ)の師走半ば、漢方医絲屋宗仙という人が春日大社へ参詣の帰路、猿沢池の水面に俄(にわか)に降ってきた霰(あられ)がポツポツと落ちて沈んで行く様子を見て、この面白さを風流人であった彼は、医師の立場からも、百薬の長である酒に、この風情を生かせないものかと工夫したのが始まりであるという説が伝えられえています。
南都般若寺の古牒(ちょう)、慶長七年三月十三日厨事下行(くりやのことかぎょう)に「味醂酒」三升代百九十五文とあり、恐らくこれが味醂(みりん)酒が文献に出ている始まりで、当時中国からその製法が伝来したもので嗜(し)好品としてよりも薬用にされていたようであります。
あられ酒は昔より郷土銘酒として文人、好事家、通人に愛好され、次のような歌にも詠まれています。
爐びらきや雪中庵のあられ酒(蕪村)
句をゑらぶみぞれふる夜のあられ酒(其角)
その名は全国に響いています。現在、老若男女を問わず飲むことができるようにと、精白もち米と精製酒精および白麹(こうじ)を原料として本格的に醸造した甘味酒で独特の芳香をしています。
甘味の主成分は醸造されたドウ糖であり、さわやかな風味があります。
往古のあられ酒はいろいろな事情により、幻の酒となってしまいましたが、今日では比重をほぼ同一である発酵した蒸し米粒を精選し、焼酎で洗い上げたものを酒の中にうかべています。江戸時代より瓢に入れられ販売されていましたが、ガラスが普及するにつれて、現在のような瓢形のガラス容器を使用するようになりました。
わが家族は奈良のお酒が大好きで、辛口だがまろやかな舌ざわりを好みとしています。アルコールに強くない私には、「あられ酒」の容器を振って、酒の中の降霰の趣を目で楽しみ、さわやかな甘さを舌で味わっています。そしてのどごしが芳醇なのでとてもおいしくいただくことができ、うれしいお酒になりました。
夫婦で奈良のお酒をこよなく愛しているところです。
かつては、江戸時代から栄えた老舖「きくや」に「あられ酒」の看板が掛かっていましたが、現在は今西清兵衛商店が伝統を守り、「南都あられ酒」を今に伝えています。この奈良の地で先祖代々、人は変わり、長い時間がながれましたが、一人ひとりが目に見えない何かを残してきたのではないかと考えています。年々の積み重ねが大切であるとあらためて感じています。そして人のこころと体にやさしい伝統の味を造り続けることを誇りにされているご当主今西清吾氏の熱い思いを私は寒さを忘れて聴き入っていました。
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