白と紅紫のエンドウの花の周りを、蝶(ちょう)が舞うさまは晩春の風物詩です。エンドウはマメ科エンドウ属のつる性一年草または越年草で、西アジア、古代ギリシャの紀元前数千年の遺跡からも出土しており、このころから栽培されていたと考えられます。ここから、エジプト、ヨーロッパに伝わったようで、日本には、中国をへて奈良時代に伝わり、「和名抄」(九三一年ごろ平安時代の漢和辞典)に、ノラマメの名で記されています。しかし、一般化したのは明治初期で、ヨーロッパから種子が導入されてからでした。
大和では、斑鳩の里が水田裏作のエンドウの栽培が盛んでしたが、昭和二十九年ごろをピークに、今ではかなり減少しています。
|
斑鳩町観光産業課、角井敏文さんにお願いして、農業振興会の皆さんに最近の様子、をお聞きしました。道すがら、各自畑に少しずつエンドウを作っておられます。
その中でも、人間の背丈よりも高く見事に成育している(五十メートルの畝×4)植村英太郎さんの畑を見せていただきました。
エンドウは、十月稲刈りの後、秋祭りのころ(二十日前後)に種を蒔(ま)き、年明けから、培い(二−三回)、雑草むしり、施肥、支柱立てと、手をかける。花は、三月のお彼岸のころから咲き始める。早くても実入りが悪いそうで、今年は、気温が高かったので例年より十日ほど早く、四月の下旬から収穫できそうとのこと。
ここでは四種類作っておられ、うすいえんどうの早生(白竜)さや十二−十三センチ、実も十二−十三つぶで大きく立派だが、薄皮が硬く口に残る。同、晩生はさや八−九センチ、実八−十つぶと少し小ぶりだが、実が白っぽく薄皮が柔らかく甘みがある。今は、前者が主流になっているそうで、昔懐かしいえんどうの味は、遠くなりつつあるようです。
他に、スナップエンドウ、これはさやごと食べられ料理法に幅があり、人気があるそうです。珍しいのは、古代エジプトのツタンカーメン王の墓から発見されたエンドウ。花は、紅色、さやは濃い紫色で、実は緑色。
このエンドウご飯は、冷めるとお赤飯のようなきれいな色になるそうです。
今回お話を聞かせていただいたのは、地元の睦美会(会長堀井二夫=つぎお=さん)の会員さんで、無人販売所や毎日曜日には、法隆寺参道東にて、朝市を開いておられます。
なお、斑鳩町では、数年前より学校教育の中の食育の一環として、地産、地消を取り入れておられます。今年も、小学校二年生がエンドウ畑を見学し、農家の方からお話を聞き、全校分のさやむきをしてその日の給食で食べるという計画だそうです。
近ごろは、輸入野菜も出回っていますが、遠隔地から低温で運ばれてくるため、味や、鮮度の面で、地場の野菜にはおよびません。この環境を生かしての斑鳩町の取り組みが、子供たちが、本当の野菜のおいしさがわかる人に育ち、ひいては農業の振興につながる事を願ってやみません。
|