日毎深まり行く大和の城下町郡山市内で、庶民の味として、今も受け継がれて残る「お団子」の素朴な味と出合うことができました。
移ろう四季の中の初冬に、収穫を終えた農人の人たちの喜びと、労をねぎらうために、その区切りともなるお祭りのすべては、自然の恵みによって
農耕ができ米が実るのだから、まず稲を備え、お米やお餅を供えて、産土神(うぶすながみ)に感謝の気持ちを伝えようとする神事としてささげられました。
そしてさらにできた砕米(くず米)を粗末に扱わず、唐臼を踏んで粉にして作られたものが「お団子」となりました。
本来、お団子には、「寒粉」とも呼ばれ厳冬の暇な時期に時間をかけて作られた米粉が最上のものとされています。
当初、米粉のみで作られた農村の団子が、お城の下町に受け継がれ貴重なもち米がほどよく配合された「お団子」となり、町の食文化として変貌していったようです。
私が教えていただいたこの家の主婦(今中美津子さん。柳4丁目)は、お料理の好きな祖母より伝わった味だと言って話してくださいました。
母方は浄瑠璃で名高い新ノ口村の農家だとか、嫁して郡山に移り、住み付いてより餅米との配合を考えられた知恵の賜ものかとも思われます。
お団子は、その配合を4分6とか、7、3とか何度かの過程を踏んで、現在の5分5分となり、滑らかなしかもさっくりとした腰のある「お団子」となりました。
当日はお話ばかりでなく、日を改めて実際の場を見学させていただくことになりました。
お伺いした日の午前9時にはすでに旧(ふる)い甑(こしき)、現在の蒸し器がふき上がり、女主人が待ち構えていたように、すし桶に用意された粉に熱湯を何回にも分けて
回しいれて捏ね、全体になじませた後、本格的に腰を入れて練りあげられました。片方には一晩漬けておいた餅米か、すでに笊にあげられてありました。
あとは作り方の手順のとおりに運ばれました。
春には、よごみ(よもぎ)を入れて草団子とするなど、お好み次第でいいでしょうと教えてくださいました。
なお日がたって固くなると(現在は冷凍)もう一度蒸して搗き直すと、初めより一層おいしく、舌触りがよくなるとか。
暗い厳しい世相の今日、ダンゴ3兄弟の歌でも口ずさみながら作ってみてはいかがでしょうか。
|