「月見る月はこの月の月」と詠まれている中秋の名月は、今年は9月24日である。
この月をめぐる行事は、中国の唐の時代にわが国に伝わり、宇多天皇が寛平9年(897)に宮中で月見の宴をしたといわれている。
「宇名月」とも言い、大和の農家ではうるう年は13個、平年は12個の里芋をうの葉にのせ、1升マスに入れて、さらに1升瓶にススキ、ハギを生け、お神酒を添えてお供えしたと記されている。
奈良に移り住んだだころ、里芋のことを泥芋というと聞いてなるほどと納得したことがある。
御所の櫛羅地区を訪れた時、農家の奥さんにお月見のお供えのことをお聞きすると、「最近はあまりしませんね。昔は(供える芋の数を)13とか12とか言って、しましたけれど、お芋ご飯を炊いても今の子は食べてくれません」とのこと。
そう言えば私も幼い頃、母と一緒に縁側にお供えした日々を鮮明に覚えている。最近は月をめでることを忘れている。
宇名月の里芋は縄文中期に渡来し、稲作伝来より以前の作物として栽培され、文献によれば、風土記(713)正倉院古文書などに食物として登場し、根菜文化の主食の地位にあったものと推定されている。
人類の歴史とともに脈々と栽培され続け、大切な食材として現在に至っている。
大和には郷土料理として「芋ぼた」がある。稲刈がおわるかまおさめのとき作られた。もち米を倹約し、里芋の粘りでつくったようである。古くから稲作とともに何時も里芋は隣り合わせだったのだろう。
「お腹にもたれなくて、栄養もありとても良いです」と県の「里づくりの達人」のメンバーの1人もお薦めといっている。
県内の生産状況について、県農政課に問い合わせてみた。生産量は169ヘクタール、2570トン。産地は葛城山麓。御所、心情、天理、桜井地域で、大きな比較差と良好な排水性を生かし、土地利用型作物として定着しているとのこと。
しかし、傾斜地での栽培のため、機械化ができず、堀りあげ作業などは重労働。生産者の高齢化に伴って、重量野菜は敬遠されがちで生産量は年々減少傾向にある。
生産量が多いのは千葉、宮崎、鹿児島、埼玉、群馬。御所の檜原・櫛羅地区は宮崎方面に種芋として送ることが多いという。最近は調理の手間を省くため冷凍里芋の利用が広がり、中国からの輸入におされ気味である。
「芋ぼた」は小豆餡もよいが、求肥(ぎゅうひ)を包み、きな粉、青のりをまぶす現代風三食ぼたもちを作ってみた。各地で観月行事が催されるが、家庭の窓辺でさえ渡る空に着きをめで、泥芋12個、ハギ、ススキを供え、季節のうつろいを楽しみたいものだ。
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